東京地方裁判所 昭和40年(ワ)10458号 判決 1967年10月28日
原告 小谷野嘉雄 外四〇名
被告 三友印刷株式会社
主文
被告は、(一)別紙債権目録の昭和三七年欄が空欄となつている各原告を除くその余の原告らに対し、それぞれ同欄記載の金員及びこれに対する昭和三七年四月一日から支払ずみとなるまで年七分の割合による金員の、(二)昭和四三年四月一日の到来と同時に、原告小林一夫を除くその余の原告らに対し、それぞれ別紙債権目録の昭和三八年欄記載の金員及びこれに対する昭和三八年四月一日から支払ずみとなるまで年七分の割合による金員の各支払をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、請求原因として、
「一、原告らはいずれも被告会社に雇われ従業員として勤務していたところ、昭和三七年三月末日と昭和三八年三月末日のうちの一回又は二回に、被告会社より利益還元従業員別段賞与(以下単に別段賞与という)なる名称の賞与として、それぞれ別紙債権目録の昭和三七年欄及び昭和三八年欄記載の金員の支払を受け、即日これを被告会社に対し期間五年利息年七分の約で社内預金した。
二、しかるに、その後被告会社は右賞与の支給並びに預金契約の効力を否認して、預金の返還に応じないので、被告会社に対し、既に期限の到来した昭和三七年三月末日の預金及びこれに対する約定利率による預け入れの翌日から期限までの利息並びに期限後支払ずみとなるまでの遅延損害金の支払、並びに昭和三八年三月末日の預金及びこれに対する前同様の利息並びに遅延損害金の期限到来時における支払を求める。」
と述べ、被告の抗弁に対し、
「被告の主張事実中、(一)の(イ)の事実は不知、(三)の事実中被告会社が昭和四〇年五月二六日所轄本郷税務署長より別段賞与の損金計上を否認されたことは認める、その余の事実はすべて否認する。」
と述べた。
被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁並びに抗弁として、
「一、原告主張の請求原因一の事実はすべて認める。
二、しかし、
(一)、(イ)、被告会社は昭和三六年三月三一日の決算期において約六〇〇万円の利益を挙げたが、昭和三一年に火災に遭つたために負担するに至つた割賦弁済すべき約一〇〇〇万円の債務が残存しており、銀行から手形割引を受けるために相当額の資金を固定しておかなければならない事情にあり、また一方かねてから印刷業界では求人難から熟練工の引抜きが激化し、被告会社においては年間約三分の一の従業員が移動するという労働事情に悩まされていたので、従業員の足止め策を考えなければならない実情にあつたので、前記六〇〇万円の利益中約二〇〇万円を賞与として従業員に支給した上社内預金として受入れる形式をとることにより、法人税負担の軽減を図ると同時に、右約二〇〇万円を運転資金に活用し、かつこれを実質上従業員の退職金の引当金とすることとした。
(ロ)、そこで、被告会社は昭和三六年六月末頃その旨を全従業員に周知させてその同意を得た上、その頃昭和三六年分の別段賞与の支給並びに社内預金の受入れをし、更に昭和三七年三月末、昭和三八年三月末には同様の趣旨で別段賞与の支給並びに社内預金の受入を定め、これを全従業員に説明して、その同意の下に本件別段賞与の支給並びに社内預金の受入れを行つたものである。
(ハ)、よつて、被告会社より原告らに対する本件の別段賞与の支給契約並びに預金契約は、いずれも原告らと被告とが通謀して、真実賞与の支給及び預金の意思なく単に形式上これを仮装した虚偽の意思表示に基くものとして無効であり、また課税を免れるための脱法行為として無効である。
(二)、かりに右の主張が認められないとしても、右別段賞与の支給契約並びに預金契約は、税務署長において右別段賞与を損金として認めることを条件として契約したものであつて、右の如き条件は不法の条件と解すべきであるから、右別段賞与の支給契約並びに預金契約自体無効である。
(三)、かりに右の主張が容れられないとしても、右別段賞与の支給契約並びに預金契約は税務署長が右別段賞与の損金計上を否認することを解除条件とするものであるところ、右損金計上は昭和四〇年五月二六日所轄本郷税務署長によつて否認されたので、解除条件が成就し、従つて被告会社の原告らに対する本件預金の返還義務はこれにより消滅した。
(四)、かりに以上の主張が認められないとしても、本件預金は一応弁済期を五年後と定めてはあるが、実質上退職金の引当金とする関係から、期限が到来しても返還することなく契約を更新し、合意解約による円満退職の場合にのみ支払う約定であつたから、原告らは期限到来の際は更に同一期間弁済期の伸長に応ずる義務があり、被告会社は原告からの円満退職に至るまで本件預金の返還義務はない。」
と述べた。
(証拠省略)
理由
一、原告らがいずれも被告会社に雇われる従業員として勤務していたところ、昭和三七年三月末日と昭和三八年三月末日のうちの一回又は二回に、被告会社より別段賞与(正確には利益還元従業員別段賞与)なる名称の賞与として、それぞれ別紙債権目録の昭和三七年欄及び昭和三八年欄記載の金員の支払を受け、即日これを被告会社に対し期間五年利息年七分の約で社内預金したことは当事者間に争がない。
二、被告会社はまず、右別段賞与の支給契約並びに預金契約はいずれも原被告間の通謀による虚偽の意思表示に基くものないしは脱法行為として無効であると主張するので、この点について検討する。
成立に争のない乙第三号証の二、被告会社代表者堀越丑之助本人の尋問の結果、右尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証、原本の存在並に成立に争のない乙第二号証の八によると、被告会社においては昭和三六年三月末の決算期において約六〇〇万円の利益を挙げたが、昭和三一年に火災を起して昭和三六年三月現在において約一〇〇〇万円の債務を負担しており、一方当時従業員の移動がはげしく、また退職金の制度がなかつたところから、被告会社代表者堀越丑之助は、右約六〇〇万円の利益全部に法人税が課税されるよりは、その一部を従業員に支給して恩典を与えると同時に、課税標準を減らしていわゆる節税をはかり、更に従業員に支給した金員を社内預金させて、被告会社の営業資金として運用すると同時に、右社内預金を従業員の会社との合意による円満退職時まで継続させることとして、これを従業員の足止め策とすることを考え、昭和三六年五月頃税理士飯塚毅に謀り、当時従業員に対して夏冬にそれぞれ賃金の二〇日分程度、被告会社全体としては八、九〇万円程度を支給していた通常の賞与とは別に、別段賞与という名目で、前記約六〇〇万円の利益中から約二〇〇万円を従業員に支給し、直ちに期間三年利息年八分の約でこれを社内預金させ、円満退職に至るまでは自動的に更新することとして、退職時に返還するという方法を案出し、同年六月末頃、代表取締役堀越丑之助より従業員に右別段賞与並びに社内預金の趣旨を説明した上、その同意を得て、同年末頃までの間に右別段賞与の支給並びに預金の受入れを実施し、昭和三七年三月、昭和三八年三月にも同様の趣旨から、原告らを含む従業員の同意を得て、本件の別段賞与の支給並びに預金の受入れを行つた(但し預金の期間並びに利率は前記のとおりであつて昭和三六年分とは異る)ことを認めることができる。右認定の事実からすれば、本件の別段賞与並びに社内預金は名実共に賞与、預金としてその支給、受入れがなされたものであつて、その支給、受入れの契約が原被告間の通謀による虚偽の意思表示であるとは到底認められず、他にもその事実を認めるに足りる証拠はない。
また右事実からすると、被告会社は前記認定のようないわゆる節税の目的の下に別段賞与の支給を行つたことは否定できないけれども、脱税の目的があつたとは認められず、しかも被告会社が別段賞与の支給及び社内預金の受入れを行つたのは従業員の足止め策とする目的もあつたのであり、右賞与の支給及び預金の受入れが課税を免れるための脱法行為であると認めることはできない。
もつとも、昭和四〇年五月二六日所轄本郷税務署長より右別段賞与の損金計上が否認されたことは当事者間に争なく、また被告会社代表者本人の尋問の結果によつて成立の認められる乙第二号証の一ないし五、成立に争のない同号証の六、七、前記同号証の八、原告二石益男本人の尋問の結果を総合すると、被告会社の従業員に対する別段賞与並びに社内預金の趣旨の説明は徹底を欠き、従業員中には右預金は果して真実返還を受けることができるものかどうかについて疑念を抱く者が少くなかつたことや、被告会社は税務署の調査に際して損金計上を否認されることを免れるため、「昭和三五年分別段賞与利息支払表」と題する書面を作成して、勝手に従業員の領収印を押捺して提出したことが窺われ、更に労働基準法第一八条第二項によると、使用者は社内預金については労働者の過半数で組織する労働組合又は労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、行政官庁(同法施行規則第六条により所轄労働基準監督署長)に届出なければならないのに、被告会社では右のような手続をとつていないことは被告会社代表者本人の尋問の結果によつて明らかであつて、被告会社のとつた処置には違法ないし不明朗な点が少くないけれども、それらの事実は未だ、前記の認定を覆して、本件の別段賞与の支給並びに社内預金の受入れが脱税の目的で行われたことを認定するに足りない。
よつて通謀虚偽表示又は脱法行為として本件預金契約の無効を主張する被告の抗弁は採用できない。
三、次に被告会社は本件の別段賞与の支給契約並びに預金契約は税務署長において別段賞与を損金と認めることを条件とするものであり、かかる条件は不法条件と解すべきであるから、右別段賞与の支給契約並びに預金契約自体無効であると主張し、また、かりに右の主張が容れられないとしても、右別段賞与の支給契約並びに預金契約は、税務署長が別段賞与の損金計上を否認することを解除条件とするものであるところ、右損金計上は昭和四〇年五月二六日所轄本郷税務署長によつて否認されたのであるから、解除条件が成就し、被告会社の預金返還義務は消滅したと主張するけれども、被告会社が本件の契約に際し税務署長が別段賞与の損金計上を認めること或いは否認することを条件とする意思を表示したことを認めるなんらの証拠もないから、被告会社の右主張も亦採用できない。
四、更に被告会社は本件預金は一応弁済期を五年後と定めてはあるが、実質上退職金の引当金とする関係から、期限が到来しても返還することなく契約を更新し、合意解約による円満退職の場合にのみ支払う約定であつたから、原告らは期限到来の際は更に同一期間弁済期の伸長に応ずる義務があり、被告会社は原告らの円満退職に至るまで本件預金の返還義務はないと主張するので考えるに、労働基準法第一八条第五項は使用者は労働者が社内預金の返還を請求したときは遅滞なくこれを返還しなければならない旨を定めており、これに違反する契約条項は無効と解すべきであるから(なお、本件社内預金契約自体が労働基準法第一八条第二項に違反することは前記のとおりであるが、これによつて契約全体が無効になるとは解されない)、前記認定のような契約更新並びに円満退職の場合でなければ返還しないとの契約条項は無効であつて、被告会社はこれを理由に本件社内預金の返還を拒み得ないものと解せられ、従つてこの点の主張も亦採用できない。
五、よつて、被告会社に対し、昭和三七年三月の預金及びこれに対する預け入れ以後である昭和三七年四月一日から五年後の弁済期まで約定の年七分の割合による利息及び弁済期の翌日から支払ずみとなるまでこれと同率の遅延損害金を支払うべきこと、及び、昭和三八年三月の預金及びこれに対する預け入れの日以後である昭和三八年四月一日から支払ずみとなるまで前同様の利息、遅延損害金を弁済期の到来と同時に支払うべきことを求める原告らの本訴請求は正当であるから、これを認容し(前記の労働基準法第一八条第五項の規定によれば原告らは右昭和三八年三月の預金についても即時に支払うべきことを求め得るものと解せられるが、即時に支払うことを求めなければならないことは言うまでもない)、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西山要 今村三郎 山口忍)
(別紙省略)